埼玉代協

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広報委員会

第11回埼玉県消費生活コンサルタントの会との懇談会

去る1月25日、毎年恒例の消費生活コンサルタントの会との懇談会が浦和コミュニティセンターにて開催されました。

まずは代協の町田会長のあいさつでスタート。

会の方からは12名のコンサルタントの方たちが、そしてわが代協側からは20名の会員が出席し、予め会の方から送られてきた相談事例について3グループに分かれ一つ一つ検証が行われました。

今回の事例は12あり、全て自動車保険に関する事案でした。

個別に検討する各グループの様子です。

質問をするコンサルタントの皆さんも答える会員の皆さんもその表情は真剣そのもの。


真剣な討議の甲斐あってコンサルタントの皆さんに満足のいく回答ができたと思います。

最後に会代表の小島裕子様からお礼の言葉をいただきました。

終了後、5回のチャイニーズレストランでお疲れ様会。


消費者の皆さんに損害保険の重要さを理解して頂くためにもこのような会を催すことはとても意義があると感じました。

会員の皆様、次年度以降も積極的な参加をお願いいたします。

東関東ブロック会議開催

平成24年12月14日、神田にある損保会館にて、東関東ブロック会議が開催されました。わが町田会長がブロック長を務められ議長をされています。埼玉代協からは、この日、町田会長以外に、渋田専務、岩瀬組織委員長、藤井企画環境委員長、森田教育委員長、そしてわたし広報委員長の斉藤が出席しました。

会議では、会員増強、国民年金基金の加入推進を集中討議しました。なぜ、会員がふえないのか?原因はなにか。なぜ、国民年金基金加入が増えないのか?原因はなにか。真剣に討議しました。会員増強については、西日本を中心に50パーセントを超える組織率の事例が相次ぎ、我々東関東ブロックの埼玉、千葉、栃木、茨城各代協は、さらなる努力を注ぐことが確認されました。

国民年金基金については、危機感がさらに強く、制度の根幹を理解し、力を注ぐことが確認されました。現在は1.75%の予定利率です。3月までに加入すれば、この利率がずっと続きます。生保各社の終身保険と比べ、遜色ないどころかさらにいい利率ではないでしょうか

代協ならではの保険会社を超えた熱い討議が展開し、みな互いにうなづきながら、勉強させられることの多い会議となりました。

 

広報委員長 斉藤

 

 

 

 

 

埼玉大学経済学部で清水副会長が講義

平成24年11月26日(月)、わが埼玉代協の清水副会長が、埼玉大学の経済学部で「保険概論」の講義を行いました。

これは、損保協会からの委託を受けて行われたもので昨年に引き続き2回目となるものです。損保協会では、損害保険の普及と業界の周知を目的として、全国の大学に働きかけて、寄付講座を持つようにしています。

埼玉代協が受け持つのは、15コマある後期授業の1コマで、保険商品を提供していく最前線を担う代理店と、代理店制度、関連する法律などを講義しました。

清水副会長は、授業が始まる前はやや緊張の面持ちでしたが、学生に質問をいくつも投げかけるなど徐々に本領を発揮、素晴らしい講義になりました。

 

清水副会長が「保険と言うと何を思い浮かべますか?」と問うと、「安心」という予想通りの答えがあるなか、「営業最優先」という女子学生からの答えもありました。外からはそう見られることもあるのですね。就職先を真剣に考えている3年生の学生達にとって、この辺は重要なポイントなのかもしれませんね。ちょっと考えさせられる答えでした。

清水副会長、お疲れさまでした。

 

広報委員長 斉藤

理事会開催

平成24年12月7日(金)

損保ジャパンさいたま第一ビルにて 埼玉代協理事会が開催されました。

各委員会の報告 各支部活動の報告が行われ活発な意見交換が行われ

その後、会場を懇親会会場に移し忘年会を行いました。

更に熱の帯びた意見交換が行われとても有意義な理事会&忘年会となりました。広報委員会 はい島

東北被災地視察のレポート4

親睦委員会企画、「東北被災地視察旅行」の最後のレポートは、世界遺産になったばかりの平泉中尊寺見学です。

(写真はクリックすると拡大します)

金色堂(中尊寺公式ページより)

私が中尊寺で注目したのは、金色堂そのものよりも金色堂を覆っていたという覆堂(おおいどう)の方。金色堂は写真の通り、金箔で覆われた木造で、建物の中にはやはり金色のお釈迦様。屋根は木の外皮でできています。雨風にとても弱い構造です。一時期、本当に雨風にさらされた期間があったらしいですが、大半の期間は覆堂で守られていたとのことでした。

 

覆堂は、まさに「保険代理店」と同じではないかと思いました。決してきらびやかさは無いけれども、しっかりと大切なものを守る役割を果たしているのです。

 

平泉中尊寺の金色堂を守っていた覆堂(おおいどう)

 

覆堂内部の真ん中にあった柱

 

 

覆堂の説明文

 

木造だった覆堂は、現在はしっかりした鉄筋コンクリートの建物となって、きらびやかだけどとても弱い金色堂を守っています。わたしたち保険代理店もこんな強い覆堂のような存在でありたいですね。

最後にみんなで集合写真を撮りました。後ろに見えるのが現在の覆堂で、この中に黄金の金色堂があります。

 

親睦委員会の皆さま、素敵な企画をありがとうございました!

 

東北被災地視察のレポート3

親睦委員会企画、東北被災地視察のレポート2の続きです。
釜石を出た一行は、マイクロバスで三陸海岸沿いを南下し、大船渡、陸前高田を目指します。

(写真はクリックすると拡大します)

昼食に寄ったレストランの方が、大船渡港の津波の様子を説明してくれました

上の写真は、「さいとう製菓」という地元では有名なお菓子製造業の本社ビル。津波到達地点の青い表示板が取り付けてありました。屋上を津波が通り過ぎていったようです。1年半たっても、このように鉄筋コンクリートのビルがそのまま残っています。逆に、木造住宅や店舗などは全く無くなってしまい、草地になっています。

 

4階から下が津波で破壊されたマンション

バスは大船渡を経て、陸前高田市に入りました。大船渡よりも津波がかなり高かったようです。マンションの4階までががらんどうになっている光景を見て驚きました。

陸前高田市役所前の母子像は台座のみが残っていた

 

陸前高田市役所跡。祈りをささげる

 

陸前高田市役所内には流されてきた子供用の枕やサッカーボールが・・・

 

市役所向かい側のビル

 

陸前高田市はいたるところが地盤沈下し湿地帯になっている

 

市役所脇の破壊されたスーパー

陸前高田市は一面が草むらになっていました。鉄骨やコンクリートの建物だけが残り、びっしりと建物で埋まっていたという市街地は、我々よそから来た人間には想像ができません。大きな市が無くなってしまったという姿を目の当たりにして言葉もありませんでした。

我々は陸前高田で被災地の視察を終了し、世界遺産となった平泉の中尊寺を見学するために、再びバスに乗りました。

 

レポート4へ続く

 

東北被災地視察のレポート2

親睦委員会の企画、東北被災地視察レポートの続きです。

 

大槌町を出たわれわれ一行は、宿泊予定地の釜石に向かいました。

「釜石の奇跡」という話をバスガイドさんから聞きました。

震災時、釜石東中学校の生徒と隣接する鵜住居(うのすまい)小学校の生徒たちが、避難場所まで避難したあと、脇の崖がくずれるのを見て、自分たちの判断でさらに上に逃げて、皆無事だったとのことでした。

途中でたまたま合流した保育園児や老人の手を引いて上へ上へといったそうです。その様子はNHKでも放送されました。ちなみに、鵜住居小学校の児童は当初は、学校の3階に避難したそうです。あとで見ると、3階の窓には津波で流されてきた自動車が食いこんでいたそうです。学校に残っていたら全員が流されていたことでしょう。

(写真はクリックすると拡大します)

鵜住居小学校近くのがれき置き場にあった自動車の残骸

鵜住居地区の小中学生避難経路(出典:群馬大学)

 

釜石市の中心部には夕方5時頃、日没直前に着きました。三陸海岸は日本でも日没が最も早い地域らしいです。

下の写真は、東京海上日動の釜石支社と損害センターのあったビル。看板は残っていますが、震災の跡移転してしまいました。損保ジャパンや三井住友の支社も釜石を出てしまったそうです。

個人的な話で恐縮ですが、私の妹は15年くらい前にこのビルの4階に住んでいて、私も一度来たことがあります。すぐそばの大通りはアーケードのある大きな商店街でしたが、今は店がほぼ無くなってしまったため、単なるバイパスのようになっていました。

東京海上日動釜石支社のあったビル

 

ホテル近くの養老乃滝で懇親会をやり、意見交換。各自適度にアルコールを入れて翌朝に備えます。

釜石の養老乃滝で懇親会

翌朝、私は3時起きしてサッカー日本対フランスを見てしまったのであまり眠れませんでした。朝、ホテルの窓のカーテンを開けると奇麗な虹が!

翌朝の釜石の虹

 

朝食後、損保ジャパンの代理店であられる有限会社ワイズコーポレーションの佐々木社長の案内で、港に向かいます。

当初は佐々木社長の事務所でお話を聞く予定でした。しかし、社長は、私たちを連れて行きたいところがあるとのことで、急きょ予定変更。釜石の港へと向かいます。

佐々木社長(右から5人目)から説明を受ける

佐々木社長の話によれば、震災当日、やっとの思いで港まで来てあまりの惨事に声を失ったそうです。これは代理業は続けられないと直観的に思ったと。津波で家を失ったご契約者様の大量の解約、地震保険支払い、震災前日の3月10日に契約いただいたばかりというフリート46台の大半の解約業務などを粛々とこなしたそうです。お客様と保険会社への義務を一切がっさい尽くした後に、やめるかどうかは考えようと・・・・

代理店魂・・・そういうことだと思います。

 

佐々木社長にお聞きして、平時に我々が注意しておいたほうがいいことを教えていただきました。

1.固定電話が繋がらなくなり、家も無くなっているので、とにかく連絡が取れない。携帯電話番号やメールアドレスを聞いておくこと。保険会社の損害担当社員が足りなくて、パートさんを雇うのだが、契約者からせっかく電話があっても慣れていないので受け付けしかできず、こちらから再連絡を取れないという事例が多かった。

2.ガソリンが無くなる、道路には釘や鋭利ながれきが多くタイヤがパンクする。移動しづらくなる。

3.宿泊施設が不足するため、保険会社社員は遠くに寝泊まりして通ってくる。ワイズコーポレーションは損保ジャパンの前線基地となった。いざというとき、頼りになる代理店となるよう準備する。(ある程度食料品、水などの備蓄をしておくこと)

以前、山古志村が大被害を受けた中越大地震の時は、北部支部が視察に行っており、そのときの報告で一つ覚えたことあります。大地震の時は停電が起きる。紙による契約内容の保管も大切、ということです。今回佐々木社長から得たアドバイスも心にとどめておきたいと思います。

円陣になって話を聞く一行

下の写真は釜石の保険代理店主で唯一お亡くなりになった日新火災代理店の事務所のあった場所です。津波で何もかも流されてしまいました。

 

この日、佐々木社長がわれわれを連れてきたのがここだったのです。

 

我々の仲間がいた場所・・・。

黙とう

店主がお亡くなりになった日新火災代理店事務所跡

最後に佐々木社長に聞きました。復興の効果はありますか?と。

幸いにも、自動車はかなり売れており、新築の住宅や、事業用の建物も増えつつあると。それに伴い、保険契約も戻りつつあり、これからも頑張るとのことでした。このお話が聞けてよかった!と思いました。明日への元気をいただきました。

 

佐々木社長には、わが町田会長が、埼玉代協各員からいただいた浄財にて義捐金をお渡ししました。佐々木社長、貴重なお話を本当にありがとうございました。

佐々木社長(前列左から三人目)を囲んで

レポート3へ続く

東北被災地視察のレポート1

広報委員長の斉藤です。親睦委員会の企画により、10月12日、13日の一泊二日の日程で、13名の埼玉代協会員が、東北地方被災地の視察に行ってきました。釜石では地元代理店の、有限会社ワイズコーポレーション代表取締役であられる佐々木至徳氏に、震災当日からその後に至る生の話をお聞きしました。写真付きでリポートします。JR盛岡駅から三陸鉄道のマイクロバスに乗って、2時間ほど山の中を東へと向かいます。まず最初に、宮古市の田老地区沿岸に到着しました。視界をさえぎる巨大な防潮堤を登りました。

(写真はクリックすると拡大します)

宮古市田老地区防潮堤の上

防潮堤の上に登ってみると・・・海側に見える草むらは漁業関係の建物がびっしりとあったところらしいです。防潮堤の上のポールや手すりが津波の圧力で押されて曲がっているのに皆驚いていました。

皆さんバスの車内から撮影に大忙し

バスは山田町船越地区などに寄りながら、次にガイドさんの生まれ故郷、大槌町へ向かいます。ちなみにガイドさんは被災によって不通となってしまった三陸鉄道の社員さんです。とてもお話が上手でした。

錆ついてしまった三陸鉄道の線路

 

こちらが、大槌町役場の跡。悲惨な姿に皆息をのみました。

大槌町役場の跡。時計が津波の襲った時刻で止まっている

 

一番左の方が、三陸鉄道のバスガイドさん

役場から海側は、コンクリートの建物しか残っていませんでした。

大槌町役場から海側を見る

レポート2へ続く